山西惇ってどんな人?父・嫁の家族構成やサラリーマン時代の過去も気になる!
名前を聞いてもいまいちピンとこない方も多いかもしれませんが、顔を見ると”あ~っ!見たことある!”となること間違いなしの俳優・山西惇さん!
ドラマ“相棒”シリーズには15年以上出演していて、「暇か?」が口癖の第5課課長・角田六郎として、存在を知っている人もいるかと思います。
そんな山西惇さん、実はいろいろと気になる経歴の持ち主なんです!
今回は、山西惇さんのサラリーマン時代の過去や家族構成などを交えながら、山西惇さんの気になる経歴についてまとめてみました!
山西惇さんとは?
まずは山西惇さんのプロフィールをご紹介します。
よろしくね(^^)“@yamanaka_takac: 課長とイオンシネマ御経塚 pic.twitter.com/KebxG2F9ae”
— 山西惇 (@8024atc) 2014年4月27日
名前:山西 惇(やまにし あつし)
本名:畑中 敦史(はたなか あつし)
生年月日:1962年12月12日(60歳)
出身地:京都府京都市
最終学歴:京都大学工学部石油化学科卒業
“山西淳”という名前は芸名なんですね!
“舞台に立つ際に本名では恥ずかしいから”と、顔の似ていた高校時代の先輩から“山西”姓を無断で拝借して名付けたのが今に至っているのだそうです。
なんだか可愛いエピソードですね(笑)
母校である東大寺学園高校は、なんと偏差値77という超進学校!
山西淳さんは高校時代から映画を撮ったりしていたそうなんですが、そこからあの京大に入っているのですから、賢い人なんだろうなぁと思います。
京都大学1回生の時には「劇団そとばこまち」に入団し、やりたいこととやるべきことを両立させながら、お芝居を続けていたそうです。
こんなに賢い人だと知らなかったので色々と驚いちゃいました!
しっかり京都大学を卒業しているわらですから、本当に頭の良い人だと思います!
山西淳にサラリーマン時代があった!?
就職活動中はマスコミ関係の仕事を狙っていたようなのですが、卒業後は大学の教授が推薦してくれた合成潤滑油の会社に入社しました。
つまり!サラリーマンをしていたそうなんです!
役のイメージが強いせいか、意外に感じてしまいます(笑)
サラリーマンとして、作業着を着ながら研究の日々を過ごしていた山西淳さん。
山西淳さんが入社2年目のころ、生瀬勝久さんが「劇団そとばこまち」の座長になると聞き、どうしても一緒に芝居がやりたくて、就業後に週末に劇団に参加していたそうです。
ここでも仕事とお芝居の両立をしていたということになりますね!
しかしこの両立は次第に厳しくなり、どちらかを選ばなければならなくなります。
生瀬勝久さんの「食うくらいならなんとかなるで」という言葉にも背中を押され、山西淳さんは劇団の東京初公演に合わせて、役者として生きることを決意!
3年8カ月勤めた会社を退職!
この決断はかなり勇気が必要だったかと思います。
それでも役者を選んだということは、やっぱり本当に芝居が好きだったんでしょうね!
同じ役者として共演していた成宮寛貴さんの引退の話題にも大変ショックを受けた反応をしていましたし、芝居に対して、共演者に対して、思い入れの強い方なんだと思います。
これは…ショック…。 https://t.co/G29ZC5PfjC
— 山西惇 (@8024atc) 2016年12月9日
山西淳の家族構成!父や嫁はどんな人?
実は山西淳さんはバツイチなんです!
1992年に劇団のスタッフと結婚したのが最初で、2002年に離婚しています。
そして2008年にスタイリストをしていた現在の奥さんと再婚したのですが、なんとその年齢差は19歳!というから驚きです!
両方に子供もいて、合わせて1男3女のお父さんとしての顔も持っています。
子どもの行事などにも積極的に参加しているようで、優しいお父さんなんだろうなぁと想像できますね。
ちなみに山西淳さんの父親は建築家なのだそうです。
両親も学生演劇を通して知り合ったらしく、山西淳さんがお芝居の道に進むのも運命的なことなのかなぁと思ったりもしました!
まとめ
1.山西淳は京都大学卒の博識人
2.3年8カ月のサラリーマン時代があった
3.生瀬勝久さんの言葉に後押しされて役者の道へ
4.現在の奥さんとは19歳の年齢差!
5.前妻の子も合わせて4人の子どものお父さん
有名大学出身であったり、サラリーマンをしていたり、19歳差の奥さんがいたりと、なかなかの経歴のお持ちの山西惇さん!
バラエティに出ても面白いかと思います。
今後もドラマや映画での活躍に注目していきたいですね!
今回はここまでになります。最後まで読んでくれてありがとうございます。